大自然の「執事」

 それゆえ、回勅は環境危機の根源に、現代人の人間としてのあり方を見ています。それはまず、人間は被造物全体に対して責任をもつ執事としての役割(stewardship)を担うものでなければならないという観点です。科学および科学によってもたらされた技術は否定されるべきではなく、むろん人類の進歩の成果としてたたえられるべきものです。しかし、現在「人類は、技術躍進が重大な決断を迫る岐路に立たされ」(102項)ています。技術は、「知識をもった人々、なかでもそれらを利用する経済力のある人々に、人類全体と全世界に及ぶ強大な支配権を与えてきた」(104項)と教皇は指摘します(日本カトリック司教協議会『今こそ原発の廃止を』編纂委員会『今こそ原発の廃止をー日本のカトリック教会の問いかけ』カトリック中央協議会、2016年、p191)。


*この「執事としての役割」という概念も、「神に仕える(礼拝=service)」という発想をしない日本人にはわかりにくいと思います。