「同性愛主義者」の踏み絵

 私は同性愛者ではありませんが、同性愛に対して差別や偏見はしません(ママ)。私はタイプの男の人がいると、じーっと自分でも気付かないくらい見てしまっているようなのですが、キレイな女の人がいても、じーっと見てしまいます。一時期もしかして自分は同性愛者なのかな?と思ったりしました。ですが、そうではないんだなと確信したきっかけがあります。中学生の時、小学校の時から、まあまあ仲良しで学校以外でも遊んだりする女友達がいました。その子から中学の修学旅行の数週間前に、「修学旅行の夜、○○○を気持ち良くしてあげたい」とメールが来ました。私はびっくりして、少しこわくて、だけど友達関係はくずしたくなくて相手を傷つけないように、流すように断りました。(後略)
(私の授業「ジェンダー論入門」を受講している女子学生のレポートより)


*イヴ・K・セジウイックが言うように、「同性愛は誰にでもある傾向」だとして、(ゲイ・アイデンティティをもった)「同性愛主義者」(私の造語)になるか否かの「踏み絵」は、同性に「あなたを気持ち良くしてあげたい」と言われて受け入れるか否か、ということかもしれません。