宗教と精神医学

 宗教家に私が期待する役割の第一は、社会に寛容と助け合いの精神を広げてくださり、差別的なものの見方を訂正して(誰でも病いになりうることは精神病でも変わらない)、社会の「精神医療温度」を二度でも三度でも上げてくださることである。
 次に「アジール」というか、病人の「駆け込み場所」「しばしの隠れ家」を提供してくださることである。この点については、私の知人の何人かの宗教家に対する評価を惜しまない。
 精神医学が「魂の救済」に全然無関係とはいえないだろうが、それを目指すものではなく、人間が病いに陥りながらそれを求めるときに、その素地をつくるとか、妨げるものをわずかでも除けばそれはボーナスのようなものである。この限定がなければ精神医療も健康な技術ではありえないだろう。精神医学の目指す健康とは苦しみや脅えなしに、ゆとりをもって家常茶飯をいとなめることである(中井久夫「宗教と精神医学」『精神科医がものを書くとき』ちくま学芸文庫、2009年(初出1995年)、pp.35-36)。


*ごもっともです。