バタード・ウーマンから大教会長へ

 古書で、高橋兵輔「中川輿志」天理教道友社、1949年、を入手しました。天理教の東京布教の道筋をつけた東本大教会初代の女性会長・中川よし(1869(明治2年)ー1916(大正5年))の伝記は何種類も出ていますが、この本が史料的価値は一番高いそうです。この本を読むと、天理教に入信する以前は、中川よしはバタード・ウーマンであったことがわかります。

 しかし、彌吉(熊田註;輿志の夫)の真面目は長く続かなかった。翌年十一月一日、庫吉(熊田註;輿志の長男)が生まれると間もなく、夫は再び道楽が始まった。飲みに行く、女が出来る。金は湯水のように使ふ。およしさんは庫吉氏を背負つて、家の業である百姓から、家事一切を黙々と働き続けていつた。或る時は些細なことから折檻もされた。
 とうゝ最後の日が来た。請負仕事に損害を招いて、中川家は遂に屋敷田畑を残らず人手にわたすことになつた。これはおよしさんが嫁行つて三年目のことである。
 およしさんは生まれて三四年で、生家は産をなくし、嫁しては三年で裸となつた。そして愈々神(熊田註;原文旧字体)の引寄せの時期がきたのである(p15)。

 昔は、DVや虐待のことを「折檻」と呼んでいたんですね。