宗教者はなぜタバコを吸うのか

 禁煙を始めてから、3日経ちました。もちろん、1本も吸っていません(たとえ1本でも吸えば、たちまちニコチンという悪魔の奴隷に逆戻りです)。ニコパッチのおかげで、禁煙の最大の難関である離脱症状も、今回はほとんど起きていません。臭覚と味覚が回復し始めました。どうやら、今回は成功しそうです。「ニコチンの奴隷生活」からようやく抜け出せそうです。タバコさえ吸わなければ、極端な話、もう1本の論文も書かなくても、私の人生は保証されているのです。
 アレン・カーの世界的大ベストセラー「禁煙セラピー」(KKロングセラーズ、1996年)に、「職業柄禁煙しにくい人」という節があって、真っ先に「医者」が挙げられていました。理由として、1.タバコに恐怖感を覚えると禁断症状を緩和したくなる、2.医者の仕事はストレスがたいへん大きいので、禁断症状のストレスまでは仕事中に解消することはできない、3.罪の意識からストレスがさらにたまる。「医者は患者の模範であるべきだ」という考えがプレッシャーになり、喪失感を増大させる、という点が上げられていました。私の経験では、「職業柄禁煙しにくい人」として、「宗教者」もあると思います。私の経験では、宗教者の喫煙率は、一般よりもはるかに高い。特に、カトリックの神父がそうです。信者の告解を秘密厳守で聴いているためではないか、と思います。カーが挙げた医者が禁煙しにくい理由のうち、2と3は、そっくり宗教者にも当てはまるように思います。キリスト教イスラーム・仏教という現在ある世界宗教は、開祖の時代にはタバコがなかったために、教義上ではタバコを禁じていないので、ストレス発散方法の抜け道としてタバコに依存している宗教者は多いと思います。