近代日本「忠臣蔵」幻想

 今年90歳になった脚本家の橋本忍さんが、週刊朝日で父親の思い出を語っている。芝居の好きな人だった。地方の町で小料理屋を営みながら、年に何度か芝居の公演をやっていた
 ところが「忠臣蔵」は意に染まなかったらしい。「一人で47人を斬(き)る話なら面白いけど、いい若い衆らが47人かかって年寄りを一人斬って何が面白いのか」と言っていた。既成の価値観にとらわれない見方に、少年だった橋本さんは感じ入ったそうだ
 その討ち入りから今日で306年になる。橋本さんの父君のような人は珍しいらしく、芝居の人気は衰えない。今年で千年の「源氏物語」が国宝的物語なら、「忠臣蔵」はさしずめ国民的物語といったところだろう
 天下の敵(かたき)役は吉良上野介だが、擁護する人もいる。菊池寛は小説「吉良上野の立場」を書いた。炭小屋に隠れた吉良が「これで討たれてみい、末世まで悪人になってしまう」「わしの言い分は、敵討ちという鳴り物入りの道徳に踏みにじられる」などと悲憤するのは、理のない話ではない
 赤穂の側にも悪役はいる。仇(あだ)討ちに加わらなかった「不忠者」たちだ。大石内蔵助と対立したという大野九郎兵衛などは散々な描かれようだ。事情も言い分もあっただろうに、善玉悪玉のレッテルはいつの世も容赦がない
 〈熱燗(あつかん)や討入りおりた者同士〉。川崎展宏さんの句は、忠臣蔵を詠みながら、どこかサラリーマンの哀感に通じている。多くの日本人が折にふれてそれぞれの忠臣蔵を思う。元禄師走の出来事も、源氏に負けずに国宝的である。

(「朝日新聞」2008年12月14日・天声人語より )