スカイ・クロラーミニマルな親密性

 森博嗣(1957-)の「スカイ・クロラ」(中公文庫、2004年)を読みました。押井守監督のアニメは、未見です。テーマは、ずばり「AC同士のミニマルな親密性」。「ミニマルな親密性」の定義については、拙著「男らしさという病?」(風媒社、2005年)をご参照ください。
 私は、2005年の段階で、「ミニマルな親密性」は、日本の大衆文化において大きなテーマとして浮上しつつある、と書きましたが、予想通りになりました。「今度は若い人のために作品を作る」と宣言した押井守(1951ー)がこの本のアニメ化を決断したのはよく理解できます。この本の各章の冒頭には、サリンジャー(1919-2010)の「ナイン・ストーリーズ」からの引用が掲げられています。サリンジャーの代表作「ライ麦畑でつかまえて」(1951、最近、村上春樹が新訳「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を出した)は、精神科医に言わせれば典型的な境界性パーソナリティ障害の症例を描いた小説だそうです。私としては、典型的なアダルトチルドレンの感覚を描いた作品と言い換えたいと思います。


 たとえば、
 彼女は僕を愛していない。
 僕も彼女を愛していない。
 愛情なんて理由が、僕たちには必要なかったからだ。
 たとえば、彼女はただひとつを望んだ。
 僕に殺してほしいと。
 それで、僕は彼女を殺した。
 それが、僕の唯一の望みとなった。
 もし僕が殺さなければ、彼女は自分で自分を殺しただろう。
 それでは、あまりに孤独だ(p326)。