天理教と東大宗教学(1)

 天理教の二代目真柱(教主)・中山正善(1905-1967)に二度インタビュー取材したジャーナリストの青地晨は、「天理教ー百三十年目の信仰革命」(弘文堂新社、1968年)で、第2次世界大戦後の中山正善による「復元」(教典編纂)の功罪について、以下のように述べています。

  だが「教典」や「教祖伝」は、中山正善の厳しい思想統制のもとに行われた。そのために中山みき  (熊田註;天理教の教祖)が説いた素朴で土俗的な信仰は、あまりにも合理化され、蒸留水のように味 気ないものに変えられている。またそのために宗教的なパッションがうしなわれ修身教科書にも似た倫 理道徳が教義として強く説かれているのである。
  すべての宗教は、人倫の道を説くものであろうが、それには自然の地下水のように、さまざまな夾雑 物がとかしこまれている。そうした夾雑物のなかに、人びとを信仰にかりたてる不思議なパッションが ひそんでいると私は思う。こうした非理性的な夾雑物をとりのぞいた蒸留水には、信仰のエネルギー源 となる不可知なものに欠けるのではないか(p289)。

 「侠気」という「民衆的正義感の心のふるさと」(佐藤忠男)も、中山正善が夾雑物としてとりのぞいてしまった教団初期の「信仰のエネルギー源」だったのだと思います。中山正善は東大の宗教学科に学んだ人ですから、やや挑発的な言い方をすれば、東大の宗教学が戦後の天理教を衰退させる一因となった、とも見ることもできるでしょう。