日本の新宗教と「ダメでもともと医学」ー天理教の事例ー

日本の新宗教の中には、入信者をいきなり布教に出す、または昔はそうしていた、というタイプの教団があります。従来、こうした信仰指導は教勢の拡大を目指す教団エゴの表れとして語られてきました。私は、そうした姿勢に教団エゴの表れという側面があることを否定しません。そうした信仰指導が、入信者の福祉に悪い影響を与えていたこともあったでしょう。しかし、「助かりたい」から「助けたい」への姿勢の変化には、一種の認知行動療法としての側面があり、それによって現在では不安障害の一種に分類されている疼痛性障害(心因性の痛み)が治癒し、それをきっかけに他の病気が治癒することもあったのだと思います。各種の依存症の自助グループにも、そういうところがあります。私が断酒会に初めて参加したときに、いきなりアル中病棟へ慰問に行かないかと勧誘されました。依存症(使用障害)の背後にある現実への不安感や空虚感を軽減できるのでしょう。

天理教教祖は、「病気は治ったけれども、すっきりとは治りきらない」という信者の訴えに対して、「手引き」は済んだけれどもまだ「ためし」が済んでいないのだ、と「人助け」を勧めています。「助かりたい」から「助けたい」への姿勢の変化が認知行動療法の意味を持つと知っていたのでしょう。

天理教教祖は、 

内観療法の授業で救われた話

春学期宗教心理学を通してみて、まず初めに(ママ)知った内観という内観療法にはとても驚きました。内観療法には人間関係の不和・非行・不登行(ママ)・うつ・アルコール依存、心身症などといった問題の改善に効果があるというのを知った。もちろん簡単に効果が出たり出なかったりと長い目で見る必要があり、僕の実家ではすぐ内観を受けたほうがいい状態であると思い変に親近感を感じていました。父はアルコール依存だし母はうつ状態だし、そんな実家がとても嫌だったのですがこの授業の話を母にしたら、実家で初めて家族会議をして父が家でお酒を飲むのをやめてくれました。なのでこの授業にはとても感謝しています。ですが、いまだに母のうつは治る気配がないのでとても心配です。僕はこの授業を通して初めて内観という言葉を聞いたので、僕個人の意見ですが、内観はあまり知られていないのではないかと思っています。なので内観できる人などが正確な情報、信憑性を伝えて、内観を知っている人には偏見などがなくなるように情報を発信すればかなりメジャーな物(ママ)になってくるのかなと思います。世の中には内観を必要としている人がたくさんいると思うのでどんどん広まっていって欲しいです。自分もいま内観を受けたい内(ママ)の1人(ママ)です。よくストレスを抱えてしまうためよく物などに最近あたってしまいます。秋学期もこの授業を取る予定です。春学期ありがとうございました(「宗教心理学Ⅰ」学生のレポート、転載許可済み)。

 

*内観の創始者・吉本伊信が喜びそうな話です。

「余裕」のない近代日本の文化

とにかく、余裕を持つことが、そうとう「功成り名遂げた」人でないと嫉妬されるという文化は、皆があまり余裕のない文化で、私などが平凡な余裕論を患者や家族にしなければならなくなるのはそのためだろう。万一自殺でもすれば「それほど思い詰めていたのならなぜ言ってくれなかったのか」などと言う。必ずしもリップ・サービスではなくて痛恨するのは、こういう文化の中で相手を追い詰める側に結果としてなったことの罪の意識も混じっているのだろう。意識的に追い詰めた場合、相手が没落して自殺でもすると、大抵の人は「寝覚めが悪い」。時には鎮魂の必要すら出てくる(中井久夫「大学生の精神保健をめぐって」『「つながり」の精神病理』ちくま学芸文庫、2011年(原著1991年)、p155)。
*私なども、別に「功成り名遂げた」訳ではありませんが、「余裕」を持てるようになったのは、50代という初老に入ってからようやくのことです。
ゆとり教育」に対するバッシングにも、「近代の大人たち」の嫉妬があったでしょう。

原初的な世界としての泥海

http://leonocusto.blog66.fc2.com/blog-entry-4259.html?sp

 

「終末観と世直し」より:

「大洪水は山津波、川津波を起こし、世界を泥海に化してしまう。それは自然界の破局であり、終末を予測させる光景となる。」
天理教の開祖中山みきの「おふでさき」には、泥海で象徴される世界観が秘められている。」
天理教の考える原初的な世界は泥海であり、そこにうをとみがおり、それを引き出し夫婦を始めた。そもそもこの世の原初は泥海であり、どじょうばかりが泳いでいたが、そこにうをとみが混っていて、よく見ると、人間の顔をしている。これらがやがて人間創造につながって行くというものであって、天理教の世界観の基本構造をなすものといえる。ここでいう泥海は終末でなくて原初であり、そこから世界の立直しが開始する。世界のはじまりと終わりは宗教意識の中において同一の情況を呈するのである。
  土左衛門に君はなるへし千代よろず 万代すきて泥の海にて (『耳袋』巻五)
 この何の変哲もない狂歌は、たまたま江戸の市井で作られたもので作者不明である。だが、はるか末世に泥海の訪れることをほのめかす終末観がうかがえる。ここで泥の海になったあかつきに、また新たなる世界が現出するのだろうか。」

「おふでさき」と「人たすけたら我が身たすかる」

https://www.tenrikyo.or.jp/yoboku/nioigake/

人をたすけて、わが身たすかる

「おふでさき」に、「しんぢつにたすけ一ぢよの心なら なにゆハいでもしかとうけとる」(第三号38)、「わかるよふむねのうちよりしやんせよ 人たすけたらわがみたすかる」(第三号47)と教え示されています。人にどうでもたすかっていただきたいと願い念じ、真実込めてにをいがけに努める中に、結果として、自らも結構なご守護を頂戴ちょうだいすることができるのです。『稿本天理教教祖伝逸話篇』42「人をたすけたら」には、そうした先人の姿が記されています。

 

また、中山正善しょうぜん・二代真柱しんばしら様は、人だすけに励む姿自体がたすかっている姿だと、ご教示くださいました。

ポストモダンの天理教

天理教教祖の活動は、心なおし・病気なおし・世なおしの三本柱からなっていたと思います。そのうち世なおしは、教祖の死後まもなく、国家神道体制に飲み込まれて消えました。病気なおしも、現在では近代医学に遠慮して、引っ込めています。現在では、心なおしだけの宗教になっている観があります。しかし、社会における格差が拡大し、また教団が「医者の手余り」の病気を治せる以上、ポストモダンが言われる今、教団活動のありかたを根本的に再考する必要があると思います。

天理教と「ためし」

 しかし、その後、兵四郎の目は、毎朝八時までというものは、ボーッとして遠目は少しもきかず、どう思案しても御利やくない故に、翌明治一九年正月に、又おぢば(熊田注ー天理教の聖地)へ帰って、お伺い願うと、

「それはなあ、(親神のー熊田注)手引きがすんで、ためしがすまんのやで。ためしというは、人救けたら我が身救かる、という。我が身思うてはならん。どうでも、人を救けたい、救かってもらいたい、という一心に取り直すなら、身上(熊田注ー健康状態)は鮮やかやで。」

とのお諭しを頂いた。よって、その後、熱心におたすけに奔走するうちに、自分の身上も、すっきりお救けいただいた(『稿本 天理教教祖伝逸話篇』天理教道友社、1976年、p279、逸話一六七「人助けたら」)。

 

*みきは、「たすかりたい」から「たすけたい」への心の転換が、現在の認知行動療法に匹敵する効果があることを、経験的によく理解していたのだと思います。