よく来たね。久しぶりだね

 たとえばテクニックの部分で、患者さんと会うときは言葉にしなくていいから、「よく来たね。久しぶりだね」と呟きながら会いなさい、と。すると顔が懐かしそうな表情になっていい感じになるのだと。この内言をうまく使うという手法は中井さんがよく書かれるんですけど、これは本当に優れた方法で、汎用性が高く日常生活でも使えると思います(松浦&齋藤「中井久夫の臨床と翻訳」『文芸別冊 中井久夫精神科医のことばと作法』河出書房新社、2017年)。


*大学教育の現場でも、応用できそうです。

断酒と中動態

 私が禁酒してアルコールをやめたのか(能動態)、アルコールが心筋症という形で私を見放したのか(受動態)、私とアルコールとが切れたのか(中動態)―考えれば考えるほど、断酒という「依存症からの回復」は、能動態でも受動態でもなく、「中動態」の世界であるように思います。依存症は、近代的な「コントロールする主体」がフィクションにすぎないことを教えてくれる病気です。

アルコール依存症とジェンダー

西原 圧倒的に男性のほうが多いのは、やっぱり、男性のほうが生きづらい世の中だからということかな。おまけに男の場合は、周囲の女性、奥さんや母親がイネーブラーになって支えてしまうし。
――女性が依存症になったときには、男性が支えたりしないですか?
西原 支えませんね。男はこれ幸いと次の女をつくるのよ。
吾妻 女性は酒を飲む機会も少ないし、強要もされないからと、かつては言われていましたけど、今はあんまり関係ない気もしますね。
西原 酒を飲む女は、もうたくさんいるよ。
月乃 それでも、比較すればまだまだ社会的に酒を飲む習慣は少ないでしょう。シャブ中がシャブを打つ環境がないとならないのと同じようなことじゃないかな。アルコールじゃなく、別の依存症になる人が多いようです(西原理恵子吾妻ひでお『実録!あるこーる白書』徳間書店、2013年、p107)。


*カウンセラーの信田さよ子さんが、「男性のイネーブラー」について分析していましたが、まだまだ例外的な話なのでしょう。

加藤秀一さんの紹介

 明治学院大学社会学者・加藤秀一さんが、大学の講義テキストとして執筆されたとおぼしき『はじめてのジェンダー論』 (有斐閣ストゥディア、2017年)の「読書案内」で、拙著『男らしさという病?』を紹介して下さいました。拙著も、ようやく学説史に位置づけられた気分です。

断酒会の宗教性

 吾妻ひでおも言っていたけれど、断酒会で出会う断酒歴の長い老人には、いい顔をした人が多いです。断酒会は、キリスト教由来のAAに比して宗教色が薄い自助グループだという意見もあるけれども、やっぱり基本的には宗教です。最大の美徳は、《正直》であること。

一人でいられる能力/二人でいられる能力

 第八は、一人でいられる能力である。これはウィニコットが唱えて有名になった。私は、これに二人でいられる能力を付け加えたい。この両方が境界例には障害がある。二人でいて満足したらあんなに長く二人でいることを欲求するまい(中井久夫『精神衛生の基準について』「『つながり』の精神病理」ちくま学芸文庫、2011年(初出1985年)、p245)。


*「一人で見るのが儚い夢なら、二人で見るのは退屈テレビ」(井上陽水)。これは、境界例的な感覚でしょう。